母の思いを受け継いで守る「葛尾の凍みもち」(葛尾村)

母の思いを受け継いで守る「葛尾の凍みもち」(葛尾村)

 明るく笑顔が印象的な姉妹、元気いっぱいに働く姿を見ると全村避難という辛い経験をものともせず、必ず「葛尾の凍みもち」を復活させるという強い気持ちを持ち続けた姉妹の亡き母を彷彿とさせる。

姉妹の名は、松本智恵子さん(姉)と裕子さん(妹)。お二人の母富子(ひさこ)さんは、葛尾村で主婦グループを作り、33年間毎年コツコツと凍みもちを作り続けていました。きっかけは地域振興や活性化を進めるため自治体が推奨した「一村一品運動」だったそうです。

 主婦グループはやがて「ふるさとのおふくろフーズ」として法人化。凍みもちだけでなく、豆の加工品、梅干し、つくだ煮など品目を増やしていきます。福島県内外で評判となり、山あいの主婦たちの会社は順調に成長していました。

 しかし、そこに東日本大震災、さらには原発事故による全村避難指示。凍てつく寒さの中、頑張って作って出荷を待つだけだった凍みもちは行き場を失いました。松本家は郡山市と三春町に避難しましたが、母富子さんは「すぐに葛尾に戻って凍みもちを作りたい。凍みもちを待っている人に届けたいと毎日のように言っていた」と智恵子さんが振り返ります。

 葛尾村に戻ってから苦労したのは、凍みもちの原材料「ごんぼっぱ」不足と野生動物の被害。外に吊るして作る凍みもちゆえ、野生動物対策として新工場を竣工し製造はすべて室内にすることで解決しましたたが、原材料不足は対策のしようがありません。帰村した最初の年は「ごんぼっぱ」の収穫量がわずかで凍みもちの製造量も少なく、1週間で売り切れ。翌年は5か月、その翌年は10か月と徐々い「ごんぼっぱ」の生産が増え、今では1年中販売が出来るようになったそうです。

 帰村の時期と呼応するように姉智恵子さん、妹裕子さんがそれまでの仕事を辞めたため、母富子さんと「ふるさとのおふくろフーズ」で働くこととなりました。母親の苦労と葛尾村を愛する気持ち、凍みもちを待っている人に届けたいという思いを誰よりも理解している姉妹は、今日も明るく笑顔で、元気いっぱいに働く姿を天国の母に見せています。

トップイメージ メイン商品の葛尾凍みもち

休憩中、話が盛り上がり明るく笑顔いっぱいの職場のみなさん
左から2番目が姉:松本智恵子さん、3番目が妹:裕子さん

2017年に建て直した工場はすべて室内製造に切り替え、衛生面を最重要視
している