▼18歳で畜産業界へ
2006年、福島県双葉郡葛尾村に生まれた吉田 隼(はやぶさ)さんは、2011年の原発事故で帰還困難区域となり全村避難を経験している。幼かったこともあり、その記憶はほとんど無いそうだ。ただ、幼いながらも当時1200頭飼っていた牛がまったくいなくなり、寂しかったことは脳裏に焼き付いていた。
▼牛の世話
幸いにも、祖父が避難地区外の常葉町で牧場を営んでおり、葛尾村から牛たちを移動させて、牛を処分することは避けられた。その際は、避難先が無い葛尾村の同業者の牛も預かり常葉町の牧場で最長6年間育てたそうです。この助け合いの行動が、現在復活しつつある葛尾村の畜産業の礎になりました。
▼24時間牛たちとともに
隼さんも成長し、この春、高校を卒業と同時に家業である「株式会社 牛屋」へ入社。この決断は、決して強制されたものではなく、自分の意思で決めたという。その理由を問うと「自分は牛の世話が何より好きだから。なにより、畜産農家として尊敬する父親の背中を見てきたから自然とこうなりました」と語った。
▼畜産業の大変さを実感
今時の若者のように、自由時間にゲームに熱中したり、インターネットに没頭したりせずに、隼さんは真逆の生活をしていることに驚く。たまに地元の友人たちに遊びに誘われるが、出掛けるにしても郡山まで。友人たちも隼さんが牛の世話に注力していることは理解してくれている。牛の世話が楽しくてしかたないので、就職してから休みたいと思ったことがないというから驚きだ。自分が楽をしてしまうと牛の健康を害したり、牛が大きく育たなくなるので、とてもそんな気になれないと熱く真っ直ぐな目で語ってくれた。
▼今後
株式会社牛屋では葛尾農場と船引町瀬川農場があるが、隼さんは瀬川農場を任されて90頭の牛を一人で世話している。今後はさらに頭数を増やして、会社を大きくしていきたいと夢を持っている。若い世代が畜産業に就かないので、これからの畜産業の現状を憂いているが、将来的には、頑張った人が正しく評価される会社にしたいと語るなど、すでに経営者目線も備えている。
(2025年7月1日取材Y)
■名称:株式会社 牛屋
■活動場所:〒963-4312 福島県双葉郡葛尾村上野川仲迫27-11
■URL:https://www.ushiya.co.jp/
写真トップ:中学、高校までバスケットボールに熱中していた隼さん。牛は寝ころんだままにしておくと衰弱し、死んでしまうことがあるので、ロープで引っ張り起き上がらせることをひとりで行う。スポーツで鍛えた体力が大事な牛の生命を守っている。
写真2:原発事故前までは、和牛畜産で全国的に有名だった葛尾村。帰還後、少しずつではあるが、牛を扱う畜産農家が戻っている。しかし、その数もまだ最盛期の1割程度。新たに畜産業に就く人材不足に悩みつつ、安心、安全な肉牛(にくぎゅう)飼育に挑んでいる。

写真2:一人で90頭の牛を世話するのは大変だが、それ以上の得るものがあると語ってくれた隼さん。牛がモリモリ元気いっぱいに餌を食べる姿を見ると幸せを感じるという。若い人に是非体験して欲しい仕事だと牛の頭をなでていた。
