▼「道の駅さくらの郷」の地域おこし協力隊員
国道349号線を田村市から二本松市に入ると、「道の駅さくらの郷(さと)」がある。その近くには、「合戦場の枝垂れ桜」、「福田寺の糸桜」など有名な桜があり、花見シーズンになると福島県内外からの多くの見物客で賑わっている。その道の駅では、2023年6月に埼玉県さいたま市から移住し、地域おこし協力隊員として蕎麦打ちをしている佐藤はるかさんが活躍している。
▼自分で決めたことは初志貫徹
子どもの頃、運動神経の悪い子どもだった。しかし、小学2年生の時、学校で手にしたバスケットボール団員募集のチラシに見入った。そして、母親に入団したい気持ちを伝えると、ひとつの約束をさせられた。それは、「自分で言い出したのだから小学校を卒業するまでは必ず続けること」だった。この約束が、その後の佐藤さんにとって人生の羅針盤となっていった。バスケットボールを夢中になって練習をした結果、小学6年生で県選抜選手となり、高校もバスケットボール強豪校へ進学した。大学生の時は資格取得に励み、社会人となってからは医療事務として働いていた。
▼有楽町で運命の出会い
しかし、この頃から漠然と、どこかに移住したいと思うようになった。加えて、手に職を付けたいと考えていた。そんな時、東京有楽町で開催された移住フェアで「二本松市で蕎麦打ちの地域おこし協力隊員募集」のコーナーに出会った。すぐに夫婦で移住し、蕎麦打ちの修業が始まった。普通なら2年間は修行だが、なんと1年後には道の駅の食堂で蕎麦をお客様に提供した。
▼無言で応援し続けてくれた父へ
しかし、移住間もない2023年8月、父親が病に倒れ、翌年3月に旅立ってしまった。いつかは自分の蕎麦を食べて欲しいと思っていた佐藤さんのショックは大きかった。思い返すと父親は、福島県二本松市に移住する事に一言も文句を言わなかった。頑張れとも言わなかった。そんな父親の遺品を整理していた時、携帯のロックが偶然解除された。写真フォルダからは、佐藤さんがSNSにアップした蕎麦打ちの写真がたくさん保存されていた。その写真を見た時、亡き父は、言葉には出さないが、いつも応援してくれていたと知った。佐藤さんは、「自分で決めた道だからやり続けるから安心して」と空に誓った。
(2025年9月12日取材Y)
■名称:道の駅さくらの郷
■場所:〒964-0301 福島県二本松市東新殿平石田12−2
■URL:https://sakura-no-sato.com/
写真トップ:蕎麦打ちは道具が大事と話してくれた佐藤さん。実際に手に取ってみると道具の大きさに驚く。食べ物を扱う仕事ゆえ当然だが、道具は清潔で綺麗に管理されている。福島県にも愛着が湧いているが、道具にはさらに愛着が湧いているそうだ。

写真2:2024年11月16日の新そば祭りの朝のスナップ。新そばを味わおうと舌の肥えた人々が今や遅しと並んでいる。2025年の新そば祭りは、11月15日(土)、16日(日)の開催。今年も佐藤さんや複数いる蕎麦打ち職人が大勢の蕎麦通の期待に応えます。

写真3:蕎麦打ちの上手さは、最後の包丁で決まると言われるほど難しい作業である。しかも蕎麦包丁は想像以上に重い。蕎麦は包丁の重さで切る、と語ってくれた佐藤さん。1回の蕎麦打ちで14食分が作れる。過去、最高で1日100食分を打ち、重い包丁で切った。ここでもバスケットボールで鍛えた体力が活かされている。