エゴマを活力に未来へ歩む石井絹江さん(石井農園)(浪江町)

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震災で一変した人生

 福島市平野にある「石井農園」。

浪江町から避難した石井絹江さん夫妻が営んでいます。

絹江さんは、生まれも育ちも、嫁ぎ先も津島。高校卒業後、浪江町役場職員として40年以上勤務された方です。定年まで残すところ一年となった時に起こったのが、東日本大震災でした。当時、診療所の職員として自宅に戻ることなく、町民を守るためだけに費やした数日間。

その後、避難指示によって、8人家族は4カ所に分かれて生活することになりました。

 避難直後は、頻繁に津島の家を訪れたそうですが、行く度に無惨な姿を見るのも辛く、「あきらめっぺ」と。震災翌年(2012年)4月に役場を退職した絹江さんは、「かーちゃんの力プロジェクト協議会」の一員として活動を支える傍ら、「浪江まち物語つたえ隊」の主力メンバーとして、震災と原発事故避難についての話を紙芝居で伝える活動も始められました。

過去はしっかりと語り継ぎつつも、悲しみを引きずらず、未来へ向けて前に進むという姿勢を、絹江さんは身をもって教えてくださっています。 

自分にできることで浪江町への恩返しを

 石井さんご夫妻が福島市内に農地を買って農業を始めたのは、平成27(2015)年のことです。

「エゴマ作りたい、ばあちゃんが作ってたかぼちゃ饅頭を浪江の人のために作りたいという思いを夫が後押ししてくれた」と絹江さん。すぐに数か所の小さな農地を借り、ご夫妻で石井農園を立ち上げ、加工場を建てるための土地も入手しました。栽培したエゴマや、近隣で収穫された果実をジャム等に加工する商品開発も始まりました。石井夫妻の新たな夢と生きがいが着実に形となっていきます。

 「なぜ、エゴマだったの?」と伺うと、「震災前に津島の遊休農地をなくす目的で、みんなでエゴマを作って体を健康にしようという取り組みをしてたの」と絹江さん。浪江町産業振興課に配属されていた頃、浪江町民の元気な将来を見据えて「ひとせぶ(一畝歩)運動」を推奨したそうです。「町で搾油機を買って町民に広く作ってもらった結果、遊休農地はエゴマの香りに包まれるようにもなってたの」。

 石井農園誕生と同時に、浪江町でもエゴマの実証栽培を開始した絹江さん。放射施物質検査もクリアし、平成29年から本格的に栽培しています。「2反歩からスタートしたエゴマ畑も今では3町歩になりました。来年はもっと増えるよ」と絹江さんが微笑みます。収穫したエゴマは、油、ジャム、ラー油などに加工され、全国各地で販売できるようにもなりました。

 絹江さんにとって大きな励みは、絹江さんの思いと技術を引き継ぐ新規就農した青年も現れました。人生の大半を家族として酪農家の夫を支え、役場職員として町民を支え続けた絹江さん。波江町への恩返しと福島市の自宅から片道2時間かけて浪江町のほ場に通い続け、栽培管理を続けている姿は多くの方々を励まし続けています。

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